さらさら

日々気づいたことや、誰ともなしに伝えたいことを溜めておく場所です。

おばあちゃん

電車で向かいの席に、そっくりな親子が三代で並んでいる。娘、母、そしておばあちゃん。仲良さそうにひとつの携帯を見て話す母娘と、それを見守るおばあちゃん。おばあちゃんのしわしわな手の指、ハリがなくなって柔らかそうなしみだらけの腕、深く刻まれた顔の皺、楽そうなストレッチパンツとつっかけ(サンダル)。この光景を見て、どうしようもなく羨ましくて、ちょっと涙を堪えた。


父方のおばあちゃんは幼い時に別れているから、記憶にある私のおばあちゃんは1人。4歳の時に群馬に引っ越してから、ずっと一緒に暮らしていた。毎日仕事で忙しい母の代わりに面倒を見てくれたおばあちゃん。優しいけど弟ばかり贔屓しているように感じて、よくけんかしていたおばあちゃん。厳格なおじいちゃんが亡くなってから物忘れがひどくなって、私が実家を出てからまもなく認知症になってしまった、おばあちゃん。


最後におばあちゃんに会ったのはお正月だったかな。特養老人ホームに親戚みんなで会いに行ったら、久々に元気な姿を見せてくれた。私の顔を思い出してくれることもあるし、全く別の人の名前で呼ばれることもある。それでも私の名前を言うと、ああ、あの子は元気にしているかい、と思い出してくれるのは、おばあちゃんの深い記憶の中にちゃんと私がいるのは、嬉しい。

今おばあちゃんは、病院に入院している。とても弱っているらしい。もうすぐ実家に帰るけど、実家に帰るたび、おばあちゃんに会いに行くたび、私はとても不安になる。弱っていくおばあちゃんに会うのが怖い。いつもいつも気丈に話しかけながら、涙を目に溜めて堪えてる。あと何回会えるだろう。目に頭に記憶に、しっかりおばあちゃんの姿を刻まなくちゃ。


もっと優しくすればよかった。もっと孝行すればよかった。もっと帰省して会いに帰ればよかった。もっと、いろんな話を聞きたかったな。
そういう後悔があるからかな、元気な老人を見ると、身内のような親しみと一緒にどうしようもない羨ましさが溢れ出て来て、鼻の奥がツンとする。
この寂しさはこの先、おばあちゃんがいなくなったとしても、きっと変わらないんだろうなぁ。

血の繋がった、私のおばあちゃん。