さらさら

日々気づいたことや、誰ともなしに伝えたいことを溜めておく場所です。

終戦記念日なんて他人事だったのに。

今日は終戦記念日ですね。
私はこの時期によく放送される反戦映画が苦手です。残酷さと悲惨さを伝えるばかりで救いが無いから。『さとうきび畑の唄』も『火垂るの墓』も『はだしのゲン』も『硫黄島からの手紙』も、出来ればもう観たくない。こういう映画は、観たあとに落ちこんでしまう。 

昨年のちょうど今頃、宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観た。正直私には何を伝えたかったのか、どこが良かったのかが理解できなかった。ただ、観ていて悲しくなる反戦映画ではないことだけは読み取れた。
年が明けて冬、『永遠のゼロ』を観た。こっちは素直に感動した。こんな戦争映画があるんだと思った。特攻隊の異常さも美しさもどちらも描かれていたからかな、悲しさや残酷さを押し付けられている気分にならなかった。「死」を描くことで同情をひくのではなくて、戦争体験者の「生」を描いていると感じた。
メディア媒体は変わるけど、春頃から近しい人たちの影響で『艦隊これくしょん』というブラウザゲームをするようになる。旧日本軍の戦艦や航空母艦を美少女に擬人化して育成・戦わせるゲームだ。最初はエロゲだと思って馬鹿にしていたけど、美少女たちが可愛いのとやり込み要素が多いために熱中する羽目になってしまった(美少女好きに二次元も三次元も無いなと悟った)。艦これをやるまでは艦隊は戦艦しかないと思っていたので、航空母艦とか駆逐艦とか巡洋艦とか色々な艦隊や艦載機があることを知った。まさか私が無機物(しかも戦争に使われるもの)に興味を持つ日が来るとは夢にも思っていなかった。
今夏になってから永遠のゼロをDVDでもう一度観たのだが、「零戦ってかっこいいな」以前観た時はまず思わなかった感想が出て来て驚いた。型の違いがあることもすんなり理解できた。今までとは違う視点から戦争映画を観ている。もし今『風立ちぬ』をもう一度観たら、また違う感想を抱くのかもしれない。

風立ちぬ、永遠のゼロ、艦これ。この三つの作品を通して私の中での戦争の見方が少し変わった。目を背けたい「過去の負の遺産」の実態に、少しばかり興味を抱くようになる。


私がそんなことを頭の端っこで一瞬考えながら自分の日常を一生懸命生きている間に、国会では憲法第9条解釈改憲が決まり、2ちゃんねるではネトウヨにとどまらず中高生までもが中韓に対する嫌悪感を書き殴っている。一方ガザではイスラエルの報復で沢山の民間人が死んでいる「らしい」し、ロシアと旧ソ連諸国もドンパチしている「らしい」し、アフリカではエボラ出血熱パンデミックバイオハザードみたいな事態が起こっている「らしい」。
島国に住む私たちにとって、遠い海の向こうの出来事は対岸の火事だ。私も御多分に洩れず、のんべんだらりと毎日を過ごしている。だけど、なにかが引っかかる、なんだか怖くて不安になる、「もしかしたら世界がまた大きな戦争に向かっているんじゃないか?」一見全く関係の無い世界各地での出来事が、なぜか繋がっているように感じてしまう。これはそういう時代の「うねり」なのかな?それとも、心配性な私の妄想なのかな。

一言言い訳しておくと、私は左翼でも右翼でも無い。ただ、戦争は怖い。自分の大切な人が殺し合いに行くとか、次々と意味もなく死んでいくとか全然想像できない。メディアの影響で艦隊や兵器に興味を持ったところで戦争に対する恐怖は変わらない。そして今年の終戦記念日は、今まで生きてきた中で一番「戦争」をリアルに、他人事でないことのように感じている。


ビルマの第一線で銃弾を浴びながらも帰還したおじいちゃんはもう七回忌を終えたし、工場で兵器を作る手伝いをしていたおばあちゃんはもう寝たきりで喋ることすらままならない。戦争を知っている人たちがいなくなってしまったら、日本や世界はどこへ向かって行ってしまうんだろう。

今年の終戦記念日は、今まで生きてきた中で一番戦争をリアルに、他人事でないことのように感じている。