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さらさら

日々気づいたことや、誰ともなしに伝えたいことを溜めておく場所です。

「またあなたに会えるのを 楽しみに待ってさようなら」

後輩が亡くなった。23歳という若さだ。本人も気づかない先天性の病気による急死だったそうだ。メーリングリストで訃報を見たとき、がつんと頭を殴られたようなショックを受けた。「え?」と何度も心の中で繰り返した。亡くなるってどういうこと?もう会えないということ?よく意味がわからなかった。わからないけど、ただ手が震えて怖くて怖くて、その日はまともに眠れなかった。

 

その後輩とは大学時代、アカペラのバンドを一緒に組んで1年半ほど毎週一緒に歌っていた。私と一緒で音楽経験が無くて、それでも私と違って弱音を吐かずに一生懸命ついてきてくれる頑張り屋さんだった。至らない私がきつくあたってしまうこともあったにも関わらず、最後まで一緒に歌ってくれたメンバーの一人だ。いつも私の右側でコーラスを担当してくれていた。苦しい思い出よりも楽しい思い出の方が圧倒的に多いバンドだった。あれから3年、こんなことになるなんて誰が想像しただろうか。また一緒に集って歌えると信じて疑っていなかったよ。

 

静岡での告別式に向かう途中、電車の中でバンドの卒業ライブの映像を見ていた。映像を見れば、少しは実感が湧くかな?と思ったけれど全然湧かない。死ぬってどういうことだろう、そのことについてずっと考えていた。祖父や叔父、ペットの死なら経験したことがある、どれも悲しかったけれど受け止めて前に進んでいけた。でも、私より生きた時間の短い後輩が死んだのだ。これほどつらいことって他にあるのかな?

告別式には懐かしい顔がたくさんいた、これだけ人が集まるのも彼女の人徳だと感じた。みんな泣いていた、嗚咽を我慢できない人も多かった。だけどわたしは涙が出なかった。彼女が遺影になっているのに、死んだ姿でそこにいるのに、それでもなお、死を実感できなかった。なんでだろう?これは夢なんじゃないのかってずっと思っていた。というより、そう願っていた。

式は最後には明るい雰囲気で終わったと思う。手紙を棺に入れさせてもらうことも叶った。彼女と一緒にいた時間を過ごした仲間と悲しみを共有でき慰め合えたことには本当に救われた。だけど、式が終わっても実感て湧かないものなんだね。この文章を書いている今ですら、実感できていない。私は彼女の死を、受け止められたのかしら。

 

受け止められたかどうかはわからないけれど、彼女の死から学んだことは大きすぎた。私は今現在鬱病を煩っていて、何度自殺をする妄想をしたことかわからないのだけど(鬱病の人は自殺のリスクが高くて生命保険に入れないという事実から想像をしてもらえればと思う)、人の死の重さまで考えが及んでいなかったと思う。誰か身近な(それもまだ生きて然るべき年齢の)人が死ぬことがこんなにショックで耐え難く、多くの人に影響を及ぼすだなんて思ってもみなかった。なにより彼女はもっと生きたかったはずだろうなと思うと、「彼女の分まで生きなければ」、月並みな感想だと思うけれど、本当にそう心から思ったのだ。どんなにどん底でも、底辺でも、生きていればなにかいいことがもしかしたらあるのかもしれない…

 

 

ここ数日はなんとなく、彼女がそばにいてくれているような、そんな気がしている。

「僕は透明人間さ」じゃないけれど。

ねえ、あなたは「生きているうちに」「一瞬の光を」焼き付けることができましたか?

「またとない命を」「使いきる」ことができましたか?

「これが最期だ」って光っていられたのかなぁ。

 

バンドで歌った曲の歌詞を思い出しながら、ずっと追悼している。

どうか、彼女が安らかに眠ってくださいますように。

新しい世界でも、元気でやってくれますように。

一緒に歌って・生きてくれてありがとうの感謝の気持ちを込めて…