結婚のこと
近くて遠い、遠くて近い「結婚」。
周りが結婚ラッシュです。昨日も横浜で素敵な素敵な結婚式に列席させていただきました。来年も年末付近にすでに3件くらい予定があり…まわりがどんどん身を固めつつあります。
やっぱり私も女性ですね、早く結婚したいなあって気持ちはあります。なんでかな、安心したいのかな。でも世の中の「結婚=当たり前」みたいな空気には若干嫌気もさしていて…結婚しない選択も当たり前になればいいのにな、とも思います。
ずっと、なんのために結婚式挙げるのかなって思ってました。見栄のためかなぁとか、バブルの遺産じゃんとか。でも昨日の結婚式、新郎の伝えたかったテーマは「感謝を伝えること」だったようで。涙している新婦両親をみていたら、一番はきっと親のためなんだろうなと納得。私もついついもらい泣きしてしまいました…もし結婚できるのなら、親のためにも式だけは挙げたいなぁなんて思ったり。
ずっとくすぶっていた結婚に対するもやもやが最近はなくなってきて、素直に人の幸せに喜び、感動できるようになってきたのは良い変化だな。そりゃ焦る気持ちもあるけどさ。でも最近はだんだんと自分は自分、人は人って思えるようになってきたので生きるのがだいぶ楽になりました。
それにしても昨日の式、本当に素敵でした。笑いの絶えないあたたかい先輩カップルだったから、きっと彼ららしいあたたかい式になったんだろうなって。最初から最後までずっと泣き通しでした。
わたしも先輩方のような、あたたかいカップルを目指せたらなぁ、なんて思うのでした。
「私が神様だったら こんな世界はつくらなかった」
わざわざ見に行かなくても、近所に梅が咲く季節になった。久しぶりにCanonを持ち出して撮ったら、なんだかピンぼけした写真ばかりになってしまった。今日は3月11日。4年前の私は、「それ」が来たときアカペラの練習に行こうとして化粧をしていた。驚いて机の下に逃げ込んだ次の瞬間、鏡と本棚が私のいた場所に崩れ落ちた。ルームメイトと共に外に出たら、たくさんの人が外に出てきていた。大学に避難する。宿舎の食堂にたくさんの学生が集まった。大きなテレビに映し出されたのは「海岸に100人ほどの遺体か」なにか違う世界の出来事のようだった。水道もガスも電気も止まっていたから、その日は友達の家で余震におびえながら眠れない夜を過ごした。福島の友達はずっと泣いていて、そのとき私は彼女がどうして泣いているのかまだ推し量ることができなかった。先輩の卒業ライブが中止になった。卒業式が延期になった。友人たちの就職活動が延びた。日本中がストップしたみたいだった。Facebook上では留学していた友達がこぞって頑張れ日本と書き込んだ。いつこの異世界から抜けるんだろうと思ったけど昨日の続きは今日だったし、このまま世界がひっくり返って人生がすべてリセットされるのかなと不謹慎にも期待したけれど今日の続きは明日だった。そして4年間が積み重なって今日に至る。「それでも世界は回って行く」ゆっくりとではなく、いつもの速いスピードで。あの日は今日みたいに少し寒かったっけ。こんなに梅が見頃を迎えていた季節だったっけ。今でもあの揺れを思い出してぞっとするし、混乱や悲しさを思い出して胸がぎゅっとなる。
地面が割れても誰かが死んでも世界は変わらないし終わらない。
昨日の続きは今日だし、今日の続きは明日だ。
…ただ少しずつ未来を変えていくために、
今日を生きることを許された私は少しでも精一杯今日を生きるんだ。
上に向かって枝を伸ばして咲く梅のように。
【告知】LINEスタンプが完成しました♪
兼ねてからお知らせしていたものの、ずーっと完成に至らなかったぺんこちゃんのLINEスタンプ。
ようやく完成して、ただいま絶賛審査中です!!
こーんな感じ♡
これは一部なのですが、40種類のバリエーションと絵柄を考えるの、本当に大変だった…できればもうやりたくない
飽きてやる気を失っていた期間を含めると、着想から10ヶ月くらいかかりました。(実際の作業時間は僅かで、ほとんどはやる気を失っていた期間だけどね!笑)
一度審査に出したところ背景の透過ミスでリジェクトをくらい、修正した後は無事(?)審査中となりました。この審査が長いらしく、早くて2ヶ月、遅い人は半年ほどかかるとか…もう今すぐにでも使いたいんですけど、ここはじっと我慢して待ちましょう。もうリジェクトをくらうのは嫌だ〜!!
無事販売開始されたらまたこちらでもお知らせします。ぜひぜひご贔屓にお願いいたします♡
また、わたくし すもの 名義でイラストレーター活動を行っております。
https://www.facebook.com/sumonoworks
まだ簡単なFacebookページしか無いのですが(現在鋭意サイト作成中)、興味を持ってくださった方はのぞいてみてください。いいね!を押してもらえると大変喜びます(^^)♪
以上、宣伝でした!イラストレーターすものも、何卒よろしくお願いいたします。
真壁のひな祭りに行ってきた
ブログ、しばらくお休みしていたと思ったら突然の暗い記事でごめんなさい。
でも、忘れちゃいけないことだと思ったので。気づきや発見を忘れないように留めておくこと、それがこのブログの趣旨なので。
とはいえ、写真やカメラ好きな方がたくさん見てくださっているので(いつも本当にありがとうございます)、久々に写真の記事でも書こうと思います。
先日、茨城県は真壁のひな祭りに行ってきました!
先輩に誘われていったんですけど、わたくしひな祭りを舐めておりました。
このひな祭りでは、商店街・市街地一帯に無数のひな人形が飾られるのです!!その数214世帯+α…言葉で言うと伝わらないけど、右も左もおひな様!という感じです。写真好きのみなさま、なんともフォトジェニックな光景です!!
桜川市街地は古いおうちや蔵がたくさんあるのですが、それぞれのおうちがおひな様を表に出しています。中には明治時代や大正時代のおひな様もあって、人形文化の変遷を感じられます。
こんな粋なディスプレイをされているおうちもありました!
平日にも関わらず商店街が大変賑わっており、田舎とは思えないくらいでした。屋台もたくさん出ていたよ。なによりおひな様って、かわいい!!
やっぱり私も一応女の子ですね。人形、見ているだけで楽しいです笑
ねずみのおひな様やさるぼぼに囲まれたおひな様もいました。
こちらは池に浮かんだおひな様…
もちろんオーソドックスな雛壇のおひな様もありーの、こんな感じでたくさんのおひな様に出会えます。
おひな様だけでなく、市街地自体が昔の町並みを残していたのもとても興味深かったです。旧郵便局のレトロな建物が展示に使われていたり、古い蔵を改修したお店がたくさんあったり…震災で壊れた建物もまだ残っていたり。古いもの好きな方は、町並みを見るだけでも心躍るかもしれません。
こんな古いお店やおうちがたくさん。
カメラを始めて以来古いものが大好きになってしまった私は終始目を輝かせていました笑
おひな様を倉庫に眠らせておくだけでなく町をあげて飾って町おこしに使おうという試み、古いものを大切に保存していこうとする試み…こうした町のみなさんの気概を感じました。頂いたパンフレットからして、かなり気合い入ってます。町おこしって一丸となってやるのは相当難しいと思うのですが、この真壁のひな祭りはなかなかに団結力を感じるお祭りでした。きっと町のみなさんも、楽しんでやっていらっしゃるんだろうなぁ。
写真コンテストもあるらしいので、写真好きな方、人形好きな方、古いものが好きな方はぜひ足を運んでみてください。
最後に美味しかったおそば屋さんを紹介します。「きよちゃん」というお店です。ひな祭りの1ヶ月間だけの出店らしいのですが、芋がらの入ったけんちんそばがとーっても美味しかったです!また食べに行きたい…
それにしても、しばらくフィルム写真にくじけ気味で写真を撮っていなかったのもあって、ぜんぜん思うように写真が撮れませんでした。やっぱり練習しないと腕が鈍っていきますね…
そろそろ花の季節になるので、またカメラを持って出かけたいです。早くあったかくなーれ。
「またあなたに会えるのを 楽しみに待ってさようなら」
後輩が亡くなった。23歳という若さだ。本人も気づかない先天性の病気による急死だったそうだ。メーリングリストで訃報を見たとき、がつんと頭を殴られたようなショックを受けた。「え?」と何度も心の中で繰り返した。亡くなるってどういうこと?もう会えないということ?よく意味がわからなかった。わからないけど、ただ手が震えて怖くて怖くて、その日はまともに眠れなかった。
その後輩とは大学時代、アカペラのバンドを一緒に組んで1年半ほど毎週一緒に歌っていた。私と一緒で音楽経験が無くて、それでも私と違って弱音を吐かずに一生懸命ついてきてくれる頑張り屋さんだった。至らない私がきつくあたってしまうこともあったにも関わらず、最後まで一緒に歌ってくれたメンバーの一人だ。いつも私の右側でコーラスを担当してくれていた。苦しい思い出よりも楽しい思い出の方が圧倒的に多いバンドだった。あれから3年、こんなことになるなんて誰が想像しただろうか。また一緒に集って歌えると信じて疑っていなかったよ。
静岡での告別式に向かう途中、電車の中でバンドの卒業ライブの映像を見ていた。映像を見れば、少しは実感が湧くかな?と思ったけれど全然湧かない。死ぬってどういうことだろう、そのことについてずっと考えていた。祖父や叔父、ペットの死なら経験したことがある、どれも悲しかったけれど受け止めて前に進んでいけた。でも、私より生きた時間の短い後輩が死んだのだ。これほどつらいことって他にあるのかな?
告別式には懐かしい顔がたくさんいた、これだけ人が集まるのも彼女の人徳だと感じた。みんな泣いていた、嗚咽を我慢できない人も多かった。だけどわたしは涙が出なかった。彼女が遺影になっているのに、死んだ姿でそこにいるのに、それでもなお、死を実感できなかった。なんでだろう?これは夢なんじゃないのかってずっと思っていた。というより、そう願っていた。
式は最後には明るい雰囲気で終わったと思う。手紙を棺に入れさせてもらうことも叶った。彼女と一緒にいた時間を過ごした仲間と悲しみを共有でき慰め合えたことには本当に救われた。だけど、式が終わっても実感て湧かないものなんだね。この文章を書いている今ですら、実感できていない。私は彼女の死を、受け止められたのかしら。
受け止められたかどうかはわからないけれど、彼女の死から学んだことは大きすぎた。私は今現在鬱病を煩っていて、何度自殺をする妄想をしたことかわからないのだけど(鬱病の人は自殺のリスクが高くて生命保険に入れないという事実から想像をしてもらえればと思う)、人の死の重さまで考えが及んでいなかったと思う。誰か身近な(それもまだ生きて然るべき年齢の)人が死ぬことがこんなにショックで耐え難く、多くの人に影響を及ぼすだなんて思ってもみなかった。なにより彼女はもっと生きたかったはずだろうなと思うと、「彼女の分まで生きなければ」、月並みな感想だと思うけれど、本当にそう心から思ったのだ。どんなにどん底でも、底辺でも、生きていればなにかいいことがもしかしたらあるのかもしれない…
ここ数日はなんとなく、彼女がそばにいてくれているような、そんな気がしている。
「僕は透明人間さ」じゃないけれど。
ねえ、あなたは「生きているうちに」「一瞬の光を」焼き付けることができましたか?
「またとない命を」「使いきる」ことができましたか?
「これが最期だ」って光っていられたのかなぁ。
バンドで歌った曲の歌詞を思い出しながら、ずっと追悼している。
どうか、彼女が安らかに眠ってくださいますように。
新しい世界でも、元気でやってくれますように。
一緒に歌って・生きてくれてありがとうの感謝の気持ちを込めて…
portra400とジャンク品
うつ病漫画 1月27日
気まぐれに描いてみた。びょうきのこと